あなたは"Joseph Marx"を知っているか?
どうも。お久しぶりです。相川結月です。
最近といえば「輪るピングドラム」の一挙放送を見てビショビショに泣いていました。
アニメを見てビショビショに泣くとか限界も良いところですね。
さらざんまいはどうなるか楽しみですね。
それとは関係なーいーおはなしです♪
元ネタは0:50あたりから
私は中三の時に現代音楽に目覚めてそこから数年間、高校生の間くらいまではどっぷりだったのですが、最近は反動でロマン派音楽も聴くようになりました。
現代音楽って真剣に向き合うとめっちゃ疲れるので。
ロマン派音楽。いいですよね。
そりゃ、ロマン派だからロマンティックなのは当たり前なのですが、やはりあらがえない。
いつだか、ゴーストライター問題に揺れた新垣隆がかの交響曲HIROSHIMAについて「あれはロマン派音楽の模倣をしただけだ。ロマン派音楽には人の心を引き込む力がある」(大意)的なことを言ってたような気がします。
新垣隆氏の交響曲《連祷》、よさげなので是非。(連祷といえば武満徹の「リタニ-2つのレント」というこの界隈のコモンセンスを良い感じに刺激するタイトルでよい)
そんなロマン派音楽ですが、まあよく言われるのはベートーヴェン以降のシューベルトからくらいの(いわゆる)作曲家が書いた曲がロマン派音楽という認識の人も多いと思います。僕もそうです。ざっくり間違ってる部分も多い認識ですが、合ってる部分も多い。
アッテルベリ!
だいたいチャイコフスキーの時代の終わりくらいからはフランス印象主義だったり、十二音技法が出てきたり、はたまた新古典主義になったりとロマン派音楽の時代の終焉を感じさせます。
つまり、だいたい1800年~1900年とちょっとくらいがロマン派音楽の時代だったといえます。
ロマン派音楽が下火になったのはおそらく
やりつくしたから
だと思います。そりゃ100年もこねくり回されたら手札が枯渇しますわ。
しかし、その最後の最後、つまりこねくり回されきった音楽はどうでしょう。きっとロマン派音楽の最高潮の音楽がそこにはあるんじゃ無いでしょうか。
そして、その時代の作品を皆さんは知ってるはずです。たとえば、ラフマニノフやR・シュトラウスは新ロマン派主義のくくりに入れられ、ロマン派音楽のゴール地点(より少し先)に存在するものです。
この二人の作品、とっても感情を刺激する素晴らしい作品ですよね。
本日は、そんな人たちよりもさらに後の最後のロマン主義者の一人であるヨーゼフ・マルクスにスポットライトを当てたいと思います。
ヨーゼフ・マルクスって?
ヨーゼフ・ルーペルト・ルドルフ・マルクス(Joseph Rupert Rudolf Marx、1882年5月11日 - 1964年9月3日)は、オーストリアの作曲家・音楽評論家・音楽教育者。本名は長いが、作曲家自身が公的に2つのミドルネーム「ルーペルト・ルドルフ」を用いたことは無かったらしく、一般的にもそれらが言及されることは非常に稀である[1]。
らしいっすよ?
もっとも脂ののっていたのが1916~1925年くらいでラフマニノフの交響曲第2番が1907年作なので、さらに煮詰まったロマン派といえるでしょう。
また、この時期はラヴェルやドビュッシーの活躍した時代の後半くらいと重なっています。
マルクスの作品はロマン派音楽の行き着く先でありながら、フランス印象主義音楽の要素を取り入れたものになっています。
……
そりゃあ良い曲でしょうよ!?
作品
とにかく作品をいくつか紹介しますので魅力を感じ取ってください(強要)
ピアノ協奏曲 第1番 ホ長調《ロマンティック》 Klavierkonzert Nr. 1 E-dur "Romantisches Klavierkonzert" (1919年)
はい良い~~~!!!!
良すぎかよ……
これより前には室内楽作品や歌曲(歌曲界隈ではそれなりに名の知れてる作曲家らしいですよ)をのこしていますが、管弦楽曲はこの作品あたりからとなっています。
ロマン派音楽はそれが進化する過程で
- 複雑化
- 巨大化
- (長大化)
が進んでいったといえます。
私は一度ラフマニノフの交響曲2番の指揮を振った(練習指揮ですが)ことがあるのですが
楽譜が複雑でどっから手をつけて良いのかわからん!
といった感じになりました。旋律同士が複雑に絡み合う様子こそ、ロマンティックさを生み出す一つの形だからかもしれません。
そして、オーケストラで言えば編成がどんどんと大きくなっていきました。その最高潮がハヴァーガル・ブライアンの交響曲第1番《ゴシック》でしょう。
8管編成、2管の金管と3台ティンパニのバンダが4組、SATBのソリスト、児童合唱、混声合唱が2組という化け物編成。
この録音第一楽章が大分遅いんですが……この曲そんな何種類も音源存在してることが不思議
この曲もそうですが、単純に曲の長さが長くなっていきました。ソラブジなんかは良い例ですね。(あの人も一応ネオ・ロマン派音楽的な立ち位置にいるらしい)
彼の交響曲第3番は4時間半ありますし、長さに隠れて見失いがちですけど、6or7管編成+合唱という巨大編成です。(どこが演奏できるんだ)
http://www.sorabji-archive.co.uk/compositions/piece.php?pieceid=72
そして、最後のロマン主義者であるマルクスの作品も例に漏れず大規模編成かつ複雑な曲になっています。
この協奏曲は複雑さで言うと比較的そうでも無いのですが、この頃から複数の声部が同時に存在し、絡み合ってる様子が聞き取れると思います。
編成は大きい訳では無いですが、トロンボーン・チューバありのフル2管編成+打楽器と、協奏曲にしては多い部類。40分も長い方ですね。
ワシ、この曲の2:55からの主題すきすぎて死ぬかと思ってる。
ソロパートはそんなにアホムズイという訳でもなさそうなので色んなオケでやって欲しいですね。
組曲《自然三部作》 Natur-Trilogie (Natursuite) (1925年)
1. Eine Symphonische Nachtmusik (Symphonic Night Music) (1922)
2. Idylle – Concertino über die pastorale Quart (Concertino on the pastoral fourth) (1925)
3. Eine Frühlingsmusik (Spring Music) (1925)
の三曲からなる組曲です。とはいえ、編成もそれぞれ違うし、Universal Editionだと別曲扱いされており、よくわからないですね。
彼の中では中期の作品。管弦楽に大分なれてきた頃の作品で、余裕のあるオーケストレーションを感じます。編成もそれほど大きくないのですがいかんせん複雑。
少ないところでも3声部くらいはずっと鳴ってるような感じ。
絶対指揮振りたくないですね。マジ。
曲想としては、どれも穏やかで、牧歌的で描写的かつロマンティック。よいね~
演奏会で取り上げるとしたらこのうちのどれかを中プロくらいでやるのが良いんじゃ無いでしょうか?是非。
是非。
秋の交響曲 Eine Herbstsymphonie (1921年)
はい、極地。
この曲、僕の知る限り
編成×曲の長さ×音符の細かさ
の値が最大級な曲だと思ってます。
さっきのブライアンの曲と比べると劣りますが、あれは外れ値なので……
まず、なっげえ。マーラーかよ。一応カットした版があるらしいですが、それでも58分くらいかかるので。
そして細けえ。音符が。楽譜見ていただければわかると思いますが、鍵盤楽器系の音が細かすぎ。
編成ですが、4or5管編成って感じですね。
さっきのかけ算の値ですが、これは練習の難度の指標になると思います。プロでもかなりキツいだろこれ……
やってみてぇ~~~~!!!
で?
いくつか作品を紹介した訳ですが、何を言いたいかというと
ロマン派音楽の最後のほうにはこういうパネエ作曲家がいっぺぇいっぞ!!
ということです。
ここまでエクストリームで、それでいて聞いていて心地の良い作曲家が埋もれてしまっている現実を悲観しているのです。
確かに、当時としては後進的な音楽だったかもしれない。巨大な作品は演奏機会がそもそも設けにくいかもしれない。
でも、それはその当時の話であって、それから100年たった現代では話は変わってくる訳です。
今から見ればその辺は全部後進的だし、規模の大きい作品も結構取り上げられてる。(この間ハチャトゥリアンの交響曲第3番を何回かやってたしね。)
やれるよ!やっていいんだよ!
この記事を見ているオーケストラ関係者!!!
これをきっかけに新ロマン派主義から最後のロマン派主義までの曲に興味をもって取り上げてくださることを願っています。
働きかけよう!
終
制作・著作
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